「くじけぬこころ」を手に入れた息子3の話
「A君がいじめられているらしんだ」
息子3から言われた。 A君とは小学校の同級生でまぁまぁ付き合いのある友達で中学ではクラスが違う。 小学生時代A君にいじめられて泣きながら帰宅したこともあった。 クラスが違うこと本人から「いじめられている」と聞いただけで具体的な話まではしていないらしく息子もわからないそう・・・
A君の話から「いじめ」の話になり、いろいろ話をした。
小学校の頃は泣いて帰ってくることもあり(高学年)学校でもちょいちょい泣いていたらしい息子。 今はすっかりメンタル強化されたことについて二人で考察した。
「くじけぬこころ」を手に入れた!!
私「なにそれ~~~~!!!」
と盛り上がる。 どうやらゲーム、ドラクエの特性らしい!!
どうやってその
「くじけぬこころ」を手に入れたのか?
これについてさらに対話。
母「たとえば同じ言葉でも中の良い友達と、今だったら中学入学して新しい友達に言われる言葉は違うと思わない?」
「そうだけど・・・」
と言った後に続けた。 3つの小学校が集まってきている中学
「X小学校の子は○○で、Y小学校の子は××で、Z小学校の子は▲▲だって思うんだよね」
とタイプ分類しているらしい。 幸い息子の周りには嫌な事を言ってくる友達はいない?らしいけど、ちょいちょいからかわれることはあるらしい。
「A君は友達といる時はからかってくる」
「でもからかってるだけだってわかってるから大丈夫」
と言う息子。
そしていつも話している、物事の捉え方の話をした。 さらに 「ひろゆき」の話。
【それってあなたの感想ですよね。データとかあるんですか】
この言葉は相手を論破するための言葉ではなく自分と相手を分離させる言葉だと思っています。
この言葉を相手に言わないまでも自分の中で思うだけでいい。
その人はそう思っているだけ。
アドラー心理学【課題の分離】
他者がどう思い、どう感じるかは相手の課題であって自分にはどうすることもできない。 相手がどのような言葉や行いをしても自分の価値は変わらない。 自分と他者を分離する。
これは息子が
「YouTuberになりたい。でもアンチコメントが怖い」
と言ったときに話したことでもある。
同じ世界に住んでいても、見てるもの、感じていること、思考、感情、感覚全て違う。 みんなちがってみんないい これを徹底的にこの2年くらい、ことあるごとに伝えている。
「自分はこう思う、相手はそう思う」 どちらかが正しくて、どちらかが間違い。とかではなく、どちらもそう感じている。 答えを出す必要のある場面もあるかもしれないけど、まずはどっちも〇だし、みんなちがって当たり前。 おっと、この話をしだしたらどんどん逸れるw
息子の「ねっこ」を徹底的に育てた2年。 そして息子なりの「くじけぬこころ」を手に入れたらしい。
客観的な物事の捉え方はいつの間にか私を超えているw
そして息子はさらに言った
「みがわり」(特性)も持っている!!
これもドラクエの特性らしい。
私「ええええええ!!みがわりになって大丈夫なの???どうするの?」
「仲間を呼ぶ!!」
これもドラクエか!!!
入学当初、クラスには同じ小学校の友達は数人しかいなくて、人見知りで友達作りが苦手だった息子は毎日不安だった。
「友達と話できなかった・・・」
でも今は友達ができて「みんな優しい。」と言った。
「息子君が優しいからだね」と私が言おうとしたら自分で自分の人柄の良さを話していました(;^_^A事実なのでよしw
「ハードメタルボディも持ってる!!」
攻撃が1/4になるらしい。
「いのちのねっこ」を育てるってこういう事なんだなって改めて思った。
「ねっこ」が育てればあとは勝手に育つ!!
そう「ねっこ」さえしっかり育てれば自分軸を持って竹のように強くしなやかに生きていける!!
私の人生と子育てを学問によって謎解きして個性に合わせた再現性の追求が「いのちのねっこ」なんだと感じています。
子供に話をする時も誰かに話をする時も世間話からの深い対話を常に意識しています。
自分の体験談、経験談と学問を掛け合わせ繰り出す会話。
心がけていること、気を付けていることは沢山あるけれど特に
【言行一致】
意識しています。 みんなちがってみんないい とお互いを尊重(リスペクト)し合うことを言いながら親が、大人が自分の価値観を子供へ押し付けていては子供は真の理解を得ることはできません。
価値観の押し付けと、共有は違います。 「いのちのねっこ」を育て、「くじけぬこころ」を手に入れた息子の話でした。
【重要ワード】 物事の捉え方、課題の分離、みんなちがってみんないい、尊重、リスペクト、対話、価値観の押し付け、価値観の共有、言行一致など
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