大事件の続き・・・その後のこと

2018年10月5日



年末年始でそんな大事件の起こった正月だった。

すぐに退院すると思っていたので私はとりあえず実家にかえり彼の帰りを待った。

1か月ほどで退院すると聞いていたがなかなか退院できなかった。

面会はできないものの、何度か手紙のやり取りはあった。

退院すると決まって喜んでいると決まって退院当日の朝に「薬の副作用がひどくて退院できない」と連絡が来た。

一か月の入院予定が何か月にもなった。私が住んでいた地域に有名な精神科があり、私もそこの産婦人科に通っていたので彼の両親に転院をすすめたが断られた。

うちの家族は正直、田舎の山奥の精神病院なんて出てこれないんじゃないかと思っていた。

とにかく彼の帰りを待った。

手紙のやり取りをしながら時々面会もできた。

1か月に1回くらいだったと思う。

薬の副作用なのか顔はむくんでいて久しぶりに会った彼は顔つきが別人だった。

どんな薬を飲んでいるのか気になったが調べがなかった。

私は妊娠していたが彼の両親祖父母には子供を諦めるように言われた。私はそんなこと微塵も思わなかった。すでに生きている命を殺すことなんて考えなかった。

彼の家は命を粗末にする家だった。私には信じられないけど、彼には堕胎した兄弟が二人いたらしい。そして父親にも堕胎した兄弟がいたらしい。だから

私にも子供を諦めろと?彼の両親は言った。

彼がこんなことになってしまったからだろう。

でも私は絶対生むつもりだった。まったく迷いはなかった。

私の初めての妊娠生活は不安ではあったけどお腹の子に早く会いたくて楽しみだった。

反対していた彼の両親も私の気の強さに根負けしたのか援助してくれるようになった。

入院している彼も子供が生まれるのを楽しみにしていた。

早く一緒に暮らしたい。と。

私は実家の近くに引越しして一人で住むことになった。この経緯は正直よく覚えていない。

実家が広くなくまた引きこもりがちな兄がいたからかな。

夏に出産予定だった。妊娠出産の本を買っては育児用品を探し求めウォーキングをしながら妊娠生活を楽しんだ。マタニティスイミングやマタニティビクスにも通っていた。

友達もできて楽しかった。

しばらく実家を出ていたので地元には連絡を取っている友達があまりいなかったのでマタ友とランチをしたりしていた。

彼はなかなか退院できなかったけど出産のころには退院して一緒に住めると言っていたので待っていた。

彼の病院には不信感しかなかった。病院にも一度行ったことがあるが山奥の病院で出てこれないんじゃないかと思った。

入院患者を手放したくなかったのではないだろうか・・・

彼の両親は先生を信じていたのでどうにもできなかった。

あの時どうにかできなかったのだろうか?

と昔のことだけど思うことがある。

彼の両親は入籍を望んでなかった。

入院もそんなに長くなると思っていなかったからか、退院して彼が仕事に就いてからと。

でも結局出産に間に合わなかった。

書いたのに出せなかった婚姻届けが残っていた。




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